コラム

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映画「カサブランカ」の背景

2026年10月19日 10:57

モロッコを訪ねてくる日本人の年配の方は皆さん、「モロッコ」というとイングリット・バーグマンとハンフリー・ボガード主演の映画「カサブランカ」を思い浮かべるようで、カサブランカにはぜひ行きたいと言われたものです。

カサブランカはモロッコ第一の商業都市で、見る所はあまりなく、モロッコの人達はそう言われてぽかんとしてしまうのですが、映画はアメリカ製で、ほとんどのシーンはハリウッドで撮影されており、ごく一部がモロッコのカスバなどで撮影されたものです。モロッコはエキゾティックな背景として出てくるだけで、映画からモロッコのこと、モロッコ人のことは分からない、カサブランカ空港が自由空港だったことが分かるぐらいと言えましょう。

でも、映画の背景を調べてみると意外な側面が浮き上がってきます。日本との関係もあるのです。

この映画でバーグマンと夫ラズロ(反ナチレジスタンスの闘士で、最後にバーグマンとアメリカに飛び立つ)のモデルとなったのは、日本人の母を持つオーストリアの貴族リヒァルト・クーデンホーフ・カレルギーと、その妻でオーストリアの舞台女優イダといわれています。リヒァルトは後に今日のEUの基となった理念、「汎ヨーロッパ」を説いた人物で、映画は二人のアメリカ亡命の実話と大衆小説『だれもがリックの店に来る』をミックスして作られたとのことです。

リヒァルトの母は青山みつという日本人で、日本に赴任してきたオーストリアの全権公使のクーデンホーフ・カレルギー伯爵と結婚し、夫と共にオーストリアに渡り、二度と日本に帰ることなく生涯をオーストリアで過ごした女性です。

リヒァルトは若くして『汎ヨーロッパ』という本を出版し、汎ヨーロッパ運動を始めたEUの思想的先駆者であったのですが、ナチスは政権を取るや、ドイツでの汎ヨーロッパ運動を禁止したのです。そして1938年にナチスがオーストリアに侵攻してくると、クーデンホーフ夫妻はすぐ国を出てスイスやチェコを回り、フランスに活動の拠点を移していたのですが、ナチス・ドイツがフランスに侵攻してきて、1940年にヴィシー政権がドイツに降伏するにいたり、アメリカを目指したのです。彼の年上の妻イダはウィーンのブルグ劇場の人気女優だったのですが、ユダヤ系だったことも理由の一つであったようです。

そこで、まだナチス・ドイツに占領されていない北アフリカのモロッコはカサブランカからアメリカへ飛ぶという計画になったわけです。

さて、その頃モロッコはどうしていたかというと、フランスの保護領という植民地一歩手前で、王政は保たれたもののフランスの管理下にあったのです。そして、フランスからおとなしいと思われていた国王モハメッド五世は、第二次大戦中もヴィシー政権の求めに応じてユダヤ人を追い出すことはせず、今までと変わらぬ扱いでユダヤ人を保護したのです。そんなこともこの映画の背景にはあるのです。

映画はロマンスが中心ながら、第二次大戦に参戦したばかりのアメリカで1942年に作成され、反ナチスのプロパガンダの要素がちりばめられたものです。ちなみに、リヒァルト・クーデンホーフ・カレルギーはこの映画は好きでなかったそうですが(さもありなん)、大戦後はヨーロッパに戻り汎ヨーロッパ論を広め、ヨーロッパの論壇の有名人になり、各国の政治家達を説得し、会合も企画するなどしてEUの基礎を作ったと言われています。また、鳩山一郎元首相に友愛の思想で大きな影響を与えたともいわれています。息子よりは自分のほうに年の近いイダとの結婚に怒ってリヒァルトを勘当したみつも、戦後のリヒァルトの活躍には鼻が高く、仲直りをしたそうです。そんな訳で、カサブランカ港の近くにあるリックズ・カフェは、観光客向けに最近モロッコ好きのアメリカ人によって作られたものです。

一般社団法人日本モロッコ協会会長

元駐モロッコ王国特命全権大使

広瀬 晴子